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このブログは WordPress というものを使用しています。
そして、音声を出すためにあるプラグインを使用していたのですが、それをバージョンアップしたら音が出なくなりました。
何とか回復させようと思ったのですが、できませんでした。
そこで、方向を変え、Flash mp3 player を使用することで急場をしのぎました。

Flash mp3 player。

ブログに貼りつけるタイプです。
はじめからこれを使用したらよかったのですが、実は、以前、導入したこのFlash mp3 playerは見かけの割にとても長いプログラムになり、また、設定も少々手間だったので、できたらプラグインを復活させたかったのですが、どうにもならないので、思い切ってFlash mp3 playerに踏み切ろうと、ネットの世界で、よりよいものを探しました。

すると、以前から使っていたFlash mp3 playerのソースがシンプルになり、設定も楽になっているではないですか。

音声が出なくなった。
それはとても不幸なことだと思うのが普通でしょうが、その結果、新しい情報に出会い、よりシンプルに快適になったと思います。

災い転じて福となす。

身にふりかかった災難をうまく活用して、かえって幸せになるよう取りはからう。(参照:広辞苑)

“转祸为福 zhuǎnhuòwéifù”

災いなどと、とんでもない。
福をもたらす神のようなものでした。:-D

第1声
第2声
第3声
第4声
おまけ

江蘇省丹陽市。
日本人は数名しかいない街。
そんな街で、一般の中国人のマンションを借り、工場の体制を整え終わると、次は、営業に回りました。

この会社には営業マンが3名いました。

青島、上海と本社に各1名。
みりんと日本酒、そして焼酎の営業を各営業マンとともに客先を回りました。

この営業活動。
目的はまず、新しい総経理としてのあいさつ。
そして、その次が、この会社の問題点として、多額の売掛金が未回収だったので、それを回収することでした。

中国のビジネスは、現金決済が普通で、場合によっては前金を支払って注文し、納品されてから残金を支払うということもごく普通なのですが、食品関係は別でした。

注文があると、まずは商品を送る。
そして、売掛金がたまるのですが、いつも一定の金額を残しての決済になっていたのです。

これは前総経理の営業方針であり、また、業界の慣習でもありました。

日本の社長は、自分の製品が売れることが嬉しく、売掛金が回収できていないのに、拡販路線を推し進めます。

焼酎を販売していることにも疑問がありました。

もともと、中国で外資(外国資本)がお酒の工場を作ることは制限があり、できないはず。
でも、これもよくあることなのですが、前の総経理は、うまく根回しし、酒類の製造&販売を可能にしていたのです。

でも、こんなことが長く続くはずがありません。

売掛金の未回収を減らし、また、問題があるはずの酒類の製造販売を縮小し、会社の資金繰りを健全化させることこそが、会社のためであるはずなのに、それを日本の社長に説明しても、理解してもらえない。

この会社は、実は後輩の紹介で入社しました。
私が思ったのは、このままでは、会社経営が手に負えなくなること。
そうすると、紹介してくれた後輩にも迷惑がかかる。

そう思った私は、一年間勤めた後、身を引いたのです。

もっとも、日本の社長からの要望事項である、

1.後釜を見つけること。
2.十分な引き継ぎが行われるよう、3ヶ月間は顧問として指導すること。

は、喜んで協力させていただきました。

私が身を引いてから、酒類の製造はできなくなったそうです。
後釜として紹介した方は、一年勤めた後、やめられたそうです。

「人はアドバイスを聞かない」

それが社長という立場の人ならなおさら。
そんなことを深く体験した仕事でした。

前任の中国人総経理は自分自身が若い(30歳ほど)こともあり、若いパワーでこの工場を良くしようと思っていました。
そこで、積極的に若い人を採用していたのです。
その内の一人が、現場でがんばっていたのですが、新しく工場長になった古株社員にいじめられ、会社を去ることになりました。
そして、もう一人は会社の要である技術部の人間でした。

現場の彼もそうですが、この技術部の彼も仕事をします。
でも、新工場長にとっては、自分になびくのならいいのですが、そうでないのなら断固排除する。

新工場長は、私にこの技術部の彼の問題点を事あるごとに報告してきます。

「総経理が見ていないと仕事をさぼっている。」
「会社の資料を持ち出して、前の総経理に持って行っている。」

私はできるだけ彼と接触するようにし、状況を聞いていたのですが、彼としては次の仕事が決まらないので、しばらくは今のままでいたいとのこと。

この次の仕事とは、前任の総経理が新しく作った会社のことです。

まあ、自分を引っ張ってくれた総経理は去っていったし、仲間もすでに会社を去った。
自分も早く前任総経理のもとに行きたいのだけれど、まだ向こうの準備ができていない。
そう言う状況でした。

幸い彼の仕事は技術部で、現場の工場長とはあまり接触しない仕事。
私はその間に、彼の仕事を引き継ぐ人間を育て、彼がいつでも会社を去れるようにしたのです。

日本の社長にとっては憎い前任の総経理ですが、私にしてみれば敵を作るのは得策ではありません。
たまに連絡を取り、友好関係を保っていました。
そうすることで、引き継ぎもうまく行きましたし、彼からの情報で会社を強化することもできました。

その後、前任総経理の関係の人材はすべて会社を去り、新しい体制で、営業を強化したのでした。

彼が報告して来たことは解決しました。
でも、問題の根本は、彼が前の総経理派であり、工場長にしてみれば、自分になびいてくるのなら可愛がりもしようが、そうでなければ排除する。
これは日本でもある考え方ですが中国の場合、日本よりはっきりとそれが行われます。

若い彼にしてみれば、冷遇されている。
そのことが耐えられないのでしょう。
そう言えば、彼は私にこんなことを言っていました。

「私は、別に給料を多くもらいたいわけではない、仕事でいじめられてもかまわない。ただわかって欲しい。」

士は己を知る者の為に死す。

武士と言わず、男と言わず、人は、自分のことを理解してくれる人のためなら命も惜しくないと思うでしょう。
会社でもそうです。
上の人間が、下のものをちゃんと見ていて理解していたら(これが実は一番難しい)それが一番なのです。

さて、実際には、彼の状況は変わらず、彼はまたもや私をたずねて来ました。

ひとしきり現在の状況を説明し、それについてすべて聞き終わって、さて、どうしたらいい?ということになるのですが、やはり、具体的な方法は出てきません。

彼に力があれば、自分が工場長になるのなら私は喜んで彼を工場長にしました。
でも、彼は「それはできない。自分にはそれだけの力も経験もない」と冷静に判断します。

そこで最終的に私が提案したのは、今のまま、君がこの会社にいても、君は辛いだけだ。君の趣味は何?テレビゲーム。なるほど、いい趣味だ。人生はテレビゲームと同じこと。あまり簡単過ぎるゲームではもの足りないでしょう?頭を抱えるぐらい問題があった方が面白い。
人生もそれと同じ。
今は辛いだろうが、この局面をどうやってクリアするか。
それを感がる事はできないか?ゲームだとは思えないか?
数年経てば、あの工場長歳を取る。
そして君は経験が増える。
後数年辛抱して、技術を学ばないか?
そうしたらその時には晴れて工場長になれる。

でも、彼は首を横に振りました。
「もう限界。」
そう言うことなのでしょう。

そこで私は提案しました。
それは、「今のまま、君が会社にいてもいじめられるだけ、それでは辛いだろう。人は自分の好きなことを仕事にするのが一番。だから、君に会社を辞めることをすすめる。ついては、今なら私の権限で退職金を上乗せできる。」

実際には、長い時間をかけてゆっくり色んな表現をしながらしたのですが、最終的にはこの提案を彼は受け容れたのです。

年齢は30歳前でしょう。
結婚はしているそうです。
突然、「総経理と話がしたい」と事務所にやって来て、それから約1時間、色んな話をしました。

彼が言うのには、新しい工場長が彼をいじめるというのです。

それまで、職場主任だった彼は、工場長が変わってから、仕事の中で一番つらい、お米を投入するしごとをさせられているというのです。

「どうして?」

と聞く私に、彼ははっきりとは言わないのですが、それでもそれとなくほのめかす形で、新しい工場長が今、工場内で好き勝手しているというのです。

「それはわかっている。でも、彼の他に誰が工場長という役割を果たすことができる?君が工場長になってくれるというのなら今すぐ任命しても構わないがどうですか?」

彼は、それはできないと言う。
でも、他に人材がいるだろう。というのですが、では具体的に誰がいる?と聞いても名前は出てこない。

というような話の他にも、彼の今の気持ちや、彼の趣味なども聞いたのです。
そして、とにかく現在の仕事について、すぐに改善するように伝えました。

彼はひとしきり私に話をして安心したように、職場に戻っていきました。

次の日、様子を見に、そのお米投入場所に行ってみると、彼が思い米袋を投入口に投入しています。

1袋の重さは50kgs。
これは重い。
腰をやられるという彼の訴えもわかります。

そこですぐにお米の納入業者を呼び、お米を1袋25kgs。入りにするように依頼しました。
お米の業者は「そうなると値段が上がる」とのことでしたが、即座に了承し、以後、お米は25kgs。入りとなったのです。

さて、私がこの工場を託そうと思った人間は、日本に研修に行ったことがあり、年齢は私より少し若い(45歳ぐらい?)。
いつも明るくて冗談好きで、ニコニコしています。

同僚たちの受けもいい。
私はそう思ったのですが、実は、前の総経理とは上手くいっていなかったのです。

この工場長(私は最初の仕事としてこの人間を工場長に任命しました)は、工場の中では古株で、勤務年数も長い。
それだけに経験も豊かなのですが、同時によくあることですが、頭が固く、融通が利かないところがありました。

前の総経理は若い人。
30歳ぐらいでしょうか、年齢的なこともあるのでしょう、この工場長とはことごとく対立していたようです。

しかもこの工場長。
中国人の典型のような世渡り上手。
表面ではニコニコしていても、しっかり自分の利益は獲得するし、自分に害をなすような人がいると全力で倒す。
そんな人でした。

総経理の指示を無視する工場長。
以前は副工場長でしたが、前の総経理は何とか彼を落とすべく、若い人間をどんどん入れ、若さで圧倒しようとしたのです。

でも、そのやり方がまずかった。
公私の区別がつかないような形であったため、日本の社長から疑惑を持たれてしまったのです。

私が総経理になったとき、前の中国人総経理は去っていましたが、前の総経理が連れてきた若い人たちはまだ社内にいました。

工場長にしてみれば、自分の反体制勢力が社内にいるのです。
色々といびっていたようです。

ある日、若い現場の社員が私を訪ねてきました。
そしてかなり長い時間、彼の話を聞くことになったのです。

名古屋のみりん屋さんの中国の法人は、江蘇省丹陽市にありました。

上海から南京方面に入っていって、南京の近く。
黒酢で有名な鎮江の南です。
とても歴史のある街らしいのですが、バスは二線路しかなく、こじんまりとした街でした。

さて、当初の予定では、問題のある中国人総経理と一ヶ月ぐらい引き継ぎをして、私が総経理になるはずでしたが、日本の社長とともに訪中し、会社に入ると、中国人総経理はすぐに辞めるといい出しました。
引き継ぎはというと、すべてファイルにあるから。とのこと。

こうなってしまってはどうしようもないので、この日、一日、いえ、一瞬で引き継ぎは終了し、私が経営を引き継ぐことになりました。

前の総経理にかけられた疑惑は、会社のすぐ横に自分の会社を作り、日本の現地法人の会社の財産を勝手に使っている。というものでした。
でも、総経理の説明では、新商品を開発するために、材料などを運び込んでいたに過ぎない。
でも、日本の社長に疑われた以上、自分は辞めた方がいい。
いや、これまで色々と我慢してきたが、もうそれも限界。
ちょうどいい機会だから辞める。

後から中国人総経理に聞いた話です。

確かにこの社長。
代々続いたみりん屋を継いでいるからでしょうか、お坊ちゃん育ちで、自分の感情を抑えることができません。
このことで、日本の社員たちも嫌々ながら働いている状況でした。

この中国人総経理は、研修生として日本のこのみりん屋で約半年働き、それから中国に帰って、この会社を作り上げた人です。

その間、社長からは何度も何度も無理な指示が出され、その度に苦労しながらやってきたといいます。
でも、最終的に信じれもらえないのなら、もうやってられない。ということでしょう。

本来なら生産できないはずの焼酎も生産し、販売していた前総経理。
とてもやり手でした。

さて、残された私は、会社の中で一番古く、日本に研修に行ったこともある工場長クラスの人間を中心に、この会社をまとめていくことにしました。

さて、みりん屋さんですが、中国の現地法人の現中国人総経理に変わって私が会社に乗り込み、総経理を交代する。という筋書きでしたが、まずはみりんやお酒についての知識を学ぶため、名古屋の工場に入りました。

寮はあるのです。

このみりん屋さんは日本酒も作っていて、日本酒を造る「杜氏」は、冬の寒い時だけの仕事で、「杜氏」以外にも酒造りをする人たちを連れてやってくるので、寮が必要なのです。

そんな寮の人部屋を借りて、単身赴任生活が始まりました。

この工場での実習。
実は大変なのです。

工場にいる従業員にしてみれば、社長がなんか訳のわからないおっさんを連れてきた。となり、下働きからの修行になりました。

みりんの桶を担いで大きなタンクにかけたはしごを登り、タンクにみりんを入れる。
「船」と呼ばれるみりんを絞る道具で、職人さんと同じようにみりんを絞る。
日本酒の瓶を洗う。
瓶詰をする。

確かに日本酒やみりんを作ることは学べますが、肉体労働はかなりつらくなっていました。

でも、何とか3ヶ月が過ぎ、いよいよ、中国へ。

それはそうと、このようにまず工場で社員となって一緒に働くと言うのは短い時間で理解し合うには最適です。
同じように辛い目をあじわうことで、この会社のことがよくわかりますし、一緒に働き、当初は警戒していた社員たちも、時間が経つと、色んな話をしてくれるようになります。
これは主に、会社の問題点の指摘となるのですが、社長の耳には普段入らない貴重な情報です。

私は商社よりも工場で物づくりをするのが好きなのですが、その場合、まず工場で一緒になって働くことが必要不可欠です。
これをすることで、中国でも中国人社員の信頼を得られるようになったと思います。

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  とにかく話そう!中国語 -斎藤一人さんDE中国語
   第10号 2009.11.06. 発行人:山岡義則
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本日もご購読ありがとうございます。
このメルマガも無事、第10号を迎えることができました。
これも皆様のおかげ。
心より感謝申し上げます。

言うは易く、行うは難し。

“说 是 容易 , 做 是 难 。”
“shuō shì róngyi , zuò shì nán .”

きれいな言葉を一滴ずつ辛抱強く垂らしていく―――つまり、きれ
いな言葉を口に出していくのです。

“一 滴 一 滴 、 极其 耐心 地 注入 纯净 的 语言 – – – 也就是说(※注) , 不断 地 从 嘴里 说 出 纯净 的 语言 。”
“yì dī yì dī 、 jíqí nàixīn de zhùrù chúnjìng de yǔyán – – – yějiùshìshuō , búduàn de cóng zuǐlǐ shuō chū chúnjìng de yǔyán .”

(※注:也就是説。つまり。これは会話でよく使います。)

が大切だとは思いながら、なかなか実行できない。
いえ、実行してもすぐに忘れてしまう。

そうだと思います。
でも、だからこそ、外国語を学ぶ時には「よい言葉」を選んでマス
ターした方がいいと思います。

同じ話すのなら、人を喜ばせたり、楽しませたりする方がいいじゃ
ないですか。

ということで今日のお題は:

◆笑いは人を喜ばせます。笑いは人を楽しませるのです。
(斎藤一人の絶対成功する千回の法則 講談社より)

中国語は:

笑 使 人 愉悦 , 笑 使 人 快乐 。
xiào shǐ rén yúyuè , xiào shǐ rén kuàilè .



また“快乐 kuàilè”が出てきました。

やっぱり楽しい方がいいですよね。
面白くて楽しい。
そうすれば中国語学習も続く。
続けばだんだんとレベルもあがる。

世の中はとてもシンプルなようです。

きれいな言葉を使えば幸せになれる、汚い言葉を使えば不幸になる。
世の中はとてもシンプルにできているのです。

“使用 纯净 的 语言 便 能 获得 幸福 , 使用 肮脏 的 语言 便 会 变 得 不幸 – - – 世上 的 事 其实 就是 这样 非常 简单 。”
“shǐyòng chúnjìng de yǔyán biàn néng huòdé xìngfú , shǐyòng āngzang de yǔyán biàn huì biànde búxìng – - – shìshàng de shì qíshí jiùshì zhèyàng fēichang jiǎndān .”

ともすれば何事も難しく考えがちなのですが、一人さんはあくまでも
「シンプル」だと教えくれます。

中国語も本来はシンプルなはず。
興味のあることを続けてやっていれば必ず力がつく。
そういうことだと思います。

(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)(^▽^)

最後までお読みいただきありがとうございます。
メルマガに対するご意見、ご感想などがありましたらお気軽にお寄せ下さい。

メルマガ「とにかく話そう!中国語」(とにちゅう)(毎日発行)
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